[連載第7回]興銀秘史 カネの匂いがした時代

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山一證券救済の舞台ウラ
田中角栄と中山素平の暗闘

山一證券の救済と電電公社の民営化――。こうした経済界のビッグプロジェクトの背景に政財界で暗躍した二人の男がいる。当時を知る興銀元常務の玉置修一郎が、50年のときを経て"真実"をいま明かす。

取材・文/
ノンフィクション作家
森 功

やはり日銀特融しかない

「私が今日あるのは中山素平さんのおかげです」

 田中角栄はトヨタ石油と異名をとったジャパン・インドネシア・オイル(日本インドネシア石油)の設立パーティで、そう挨拶した。折しもパーティは首相に就いた1年後の1973(昭和48)年7月のことである。あたかも日本インドネシア石油が、田中政権の樹立に大きく貢献したことを暗に伝えているかのようだ。



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