NHK『花子とアン』 陰の主役・柳原白蓮の生涯(2/2)

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前代未聞の「公開絶縁状」を叩きつけ

年下の恋人と出奔、平民に落とされる

 1920(大正9)年、白蓮が書いた戯曲「指鬘外道(しまんげどう)」を読んだ東京帝大の学生が、彼女の元を訪れる。学生ながら吉野作造主宰の雑誌「解放」の主筆をつとめていた青年は、宮崎龍介といった。時に龍介27歳、白蓮35歳。

 二人はたちまち恋に落ちるが、当時、有夫の女性の情交は「姦通罪」で獄につながれた。だが「姦通罪」は親告罪で、夫が離婚を認めれば罪にはならない。龍介は友人たちと策を練り、1921年10月20日に白蓮が出奔した直後、大阪朝日新聞に伝右衛門の不実を訴える「絶縁状」を掲載して世論を巻き込んだ。これが世に言う「白蓮事件」である。


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