山口百恵の『秋桜』は、なぜ僕の心を摑むのか
社会 | 2020.10.24 |
特別読み物
はじめて聞いたのは、昭和52年の秋だった・・・・・・あの頃はまだ母も元気だったから、歌の世界を想像できないでいた。でもいま大人になってわかる。「庭先でひとつ咳をする」母のせつなさが、そして「生きてみます 私なりに」という人生の深さが。
人の心を射抜くような、真っすぐで凛とした眼差し。曲のイントロが鳴り始めた瞬間から、胸が締めつけられる。今も歌い継がれる山口百恵の代表曲は、彼女が歩んできた人生の結晶そのものだった。
はじめて聞いたのは、昭和52年の秋だった・・・・・・あの頃はまだ母も元気だったから、歌の世界を想像できないでいた。でもいま大人になってわかる。「庭先でひとつ咳をする」母のせつなさが、そして「生きてみます 私なりに」という人生の深さが。
人の心を射抜くような、真っすぐで凛とした眼差し。曲のイントロが鳴り始めた瞬間から、胸が締めつけられる。今も歌い継がれる山口百恵の代表曲は、彼女が歩んできた人生の結晶そのものだった。
いまだから心で理解できる
ふとした瞬間に人生を振り返り、自分の来し方にしみじみする。そんなとき、人は思い出の歌を口ずさみたくなる。物想う秋ならば、なおさらだ。
〈こんな小春日和の 穏やかな日は あなたの優しさが浸みて来る〉――。
この言葉とメロディに涙した人は、数知れない。
〈こんな小春日和の 穏やかな日は あなたの優しさが浸みて来る〉――。
この言葉とメロディに涙した人は、数知れない。
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