なりもの ヤフー・井上雅博伝 第12回 人を見抜く目を持て/森 功
社会 | 2019.06.20 |
大型連載
祖師谷団地が生んだインターネットの天才
ソフトバンク社長室の一角でヤフー・ジャパンは産声をあげた。孫正義の厳命により、サービス開始まで残された時間はわずか三ヵ月。窮地の井上は一癖も二癖もある「ならずもの」たちを集めていく。
森 功(ノンフィクション作家)
祖師谷団地が生んだインターネットの天才
ソフトバンク社長室の一角でヤフー・ジャパンは産声をあげた。孫正義の厳命により、サービス開始まで残された時間はわずか三ヵ月。窮地の井上は一癖も二癖もある「ならずもの」たちを集めていく。
森 功(ノンフィクション作家)
前回まで/世田谷の団地で生まれた、事実上のヤフー・ジャパン創業社長の井上雅博。孫正義の信頼を受けた井上は、'96年にわずか2人の専属スタッフとソフトバンク社長室の片隅でヤフー・ジャパンの仕事を始める。
あだ名は「バイト君」
井上雅博は一九八七年一一月、ソフトバンク総研に入社した。三〇歳の誕生日を迎えた年のことだ。なぜソフトバンクグループで正社員にならなかったのか。のちに井上とともにヤフーを立ち上げた影山工(たくみ)は、井上にそれを尋ねたことがあるという。
「井上さんに理由を聞くと、『ソフトバンクに入社したとき住宅ローンを抱えていたからなんだ』と話していました。社員になると、むしろ給与ベースが下がったそうで、『会社側と給料の待遇が折り合わなかったので、俺はずっと契約社員採用なんだよ』と言っていました。それで、社内では井上さんのことを”バイト君”と呼んでいました」
「井上さんに理由を聞くと、『ソフトバンクに入社したとき住宅ローンを抱えていたからなんだ』と話していました。社員になると、むしろ給与ベースが下がったそうで、『会社側と給料の待遇が折り合わなかったので、俺はずっと契約社員採用なんだよ』と言っていました。それで、社内では井上さんのことを”バイト君”と呼んでいました」
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