三匹のおっさん記者、東京地検を語る 第2回 イトマン事件――闇紳士と情報屋の時代

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名門商社を舞台に巨額の資金が不正流用された、戦後最大級の経済犯罪。カネの匂いに群がる怪しい事件師たちと、彼らの悪事を暴こうと奮戦した検察・特捜部。水面下の暗闘で3人が見たものとは――。

投票日当日に強制捜査

村串:最近でこそ検察の「国策捜査」は大きな批判に晒(さら)されているけど、振り返ってみれば、特捜検察が「正義の味方」ともてはやされたバブル末期から'90年代にかけての捜査も、純粋な正義感だけに基づいていたわけじゃないと思う。当時の特捜部の捜査にも大蔵省や財界、あるいは法務省内部の意向がチラついていた。今回はそれについて話してみましょう。

小俣:象徴的なのは'86年の平和相互銀行事件(*1)でしょうね。前回触れた撚糸(ねんし)工連事件の捜査の陰で、特捜部はもう一つの事件を捜査していた。それが平和相互銀行事件でした。

村串:撚糸工連事件が'86年5月に代議士2人の在宅起訴で終了し、そこで「いよいよ平和相銀に」という流れになったんだけど、事態はすんなりとは進まなかった。急に待ったがかかったんです。

村山:そうです。不正融資に手を染めていた平和相銀経営陣の特別背任容疑は、ほぼ固まっていました。ただ、その年の7月に衆参同日選があったんですよね。平和相銀は「政治銘柄」で、政界へのカネのばらまきが噂されていました。選挙直前に特捜部が捜査に入ると、それだけで、選挙結果に影響が出るかもしれない、と検察上層部は心配したのでしょう。たしか、平和相銀への強制捜査は、着手しかけては何度かストップがかかりましたよね。



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