なりもの ヤフー・井上雅博伝 第5回 僕は団地の子だった/森 功

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大型連載
日本のインターネット産業を作った男

折しも戦後の高度経済成長が始まった頃、できたばかりの都営住宅の一室。父母と弟の4人で、1DKの部屋で肩を寄せ合い、井上は育った。莫大な財を成した「なりもの」の原体験を辿った。

森 功(ノンフィクション作家)

前回まで/'17年4月にクラシックカーレースで事故死した、事実上のヤフージャパン創業社長・井上雅博。'96年のヤフー創業後も、井上は親しい友人を連れ、自身が生まれた世田谷の都営住宅を度々訪れていた。

「原点は、ここなんです」

〈ぼくは当時副社長だった城戸(四郎)さんの部屋に出頭を命じられた。よい知らせであるわけがない。びくびくして部屋に入ったところ、いきなり「君が山田君か。いい本を書いてくれてありがとう」と城戸さんが片手を差し出したのである。大きな柔らかい手だった。そしてポケットから擦り切れた財布を取り出し「少ないけれど、これでおでんでも食いたまえ」と一万円札を三枚、手渡した。ぼくは跳び上がるほどうれしくて、祖師谷の団地にとんで帰って妻にその金を渡したものだ〉



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