なりもの ヤフー・井上雅博伝 第4回 スピードはすべてに勝る/森 功

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大型連載
日本のインターネット産業を作った男

米ヤフーに交渉に向かった井上雅博が目にしたのは、名だたる老舗商社などが先んじて作成していた提携計画書。完全に立ち遅れてしまった「なりもの」は、いかにして局面をひっくり返したのか。

森 功(ノンフィクション作家)

前回まで/'17年4月にクラシックカーレースで事故死した、事実上のヤフージャパン創業社長である井上雅博。'95年12月、ソフトバンクの社長室長だった井上は、米ヤフーとの交渉のため、シリコンバレーを訪れた。

前途多難な交渉

 ヤフー・インクの創業者の一人、ジェリー・ヤンは二歳で父親を失い、英語と演劇の教師だった母の手によって台北市で幼少期を送った。「致遠(チーユエン)」という名を改め、スタンフォード大学電気工学部で数学を学び検索エンジンの会社を立ち上げたのは、前に書いた通りだ。



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