週現『熱討スタジアム』第175回  「1997年山一證券破綻」を語ろう 今週のディープ・ピープル 仁張暢男×永野修身×中川亮

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突然の悲劇に見舞われても、
歯をくいしばって筋を通す
男たちがいた

世間も、社員も、耳を疑った。消えるはずのない大企業が突然「廃業」を宣言した。日本社会を揺るがした経済事件のなかで彼らは何を見、何を感じたのか――。

誰も知らなかった

仁張(にんばり):あれから18年になります。私は自主廃業当時、役員でもありましたが、山一マンの一人として、「匹夫(ひっぷ)の責(せき)」と言いますか、自責の念が強く、黙して語らずの姿勢を持ち続けてきました。ただ、今回は'97年11月の出来事に、いま若い人たちも注目しているということで、何か伝えられることがあるなら、という考えでお話ししたいと思います。私は'97年8月に常務を拝命し、個人営業を行う営業本部を担当していました。昭和43年に入社し、金沢支店に配属されて以来、ほぼ個人営業畑を歩んできました。



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