二宮清純レポート 藤田一也 挫折が生んだ 「守備職人」の覚悟

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ドラフト4巡目で横浜入りした藤田を待ち受けていたのは、石井琢朗らプロの高い壁だった。体格に恵まれない自分は打撃では敵わない。藤田は「守備で生きる」ことを決意した。それから10年、地味で堅実な男は、「日本一の名手」になった。

10勝に値する守備

 非常事態発生である。

 5月26日の東京ヤクルト戦、神宮球場の三塁側ベンチに東北楽天・星野仙一監督の姿はなかった。

 球団によれば、持病の腰痛が悪化し、都内の病院で治療を受けた。検査の結果、腰椎の椎間板ヘルニアおよび胸椎の黄色靱帯骨化症と診断されたという。

 星野は都内の宿舎で「俺は絶対に復帰してやる。見とけよ」と語ったが、手術を受ける意向で、復帰には1ヵ月以上かかる見通しだ。

 この事態を受け、楽天の選手会長・藤田一也は、こう言った。

「勝つことで監督が治療に専念できるように、僕らが頑張っていきたい」



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