[巨弾ノンフィクション]丹波哲郎は二度死ぬ 第7回 鶴田浩二に燃やしたライバル心

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大スターはなぜ、晩年に「大霊界」へ傾倒したのか

いつも鷹揚で懐の深い人。丹波を知る共演者はそう口を揃える。だが同時に彼は火の玉のような苛烈さも併せ持っていた。他の役者には負けたくない、そんな少年のような負けん気も丹波の魅力だった。

野村進(ノンフィクションライター)

「タンテツ」の付き人

「留(と)めのスター」――。

 1970年代から'80年代にかけて、丹波哲郎は映画業界でそう呼ばれていた。

 映画のクレジットで出演者名が次々に映し出され、最後の、業界用語でいう"留め"に「丹波哲郎」の名前が現れる。すると画面が引き締まり、映画に箔(はく)がつく。丹波の場合、スケール感が増すともいわれ、大作映画に欠かせない存在となっていた。



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