[本格ノンフィクション連載]ゼットの人びと 第18回 テストドライバーという人生

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トヨタ「特命エンジニア」の肖像

自動車作りに必要なのは一流の技術者だけではない。技術者たちに助言し、車を工業製品からひとつの作品に生まれ変わらせるのは、一流の「乗り手」なのだ。その男だけに見えている風景があった。

清武英利(ノンフィクション作家)

前回までのあらすじ/トヨタの中枢部署「Z」でチーフエンジニアを務める多田哲哉は、新型スポーツカー開発の特命を受け、名車「ハチロク」の系譜を引く車作りに取り組んでいた。富士重工(現・スバル)とのエンジン共同試作に成功した多田は、プリウスと同型のタイヤを採用する驚きの策で、最大の関門・製品企画会議を突破した。

豊田章男の「運転の先生」

 成瀬弘(ひろむ)は、定年が過ぎた後も締まった体つきを崩さず、トヨタ自動車で約三百人のテストドライバーを率いた「マスタードライバー」である。高度経済成長期の一九六三年、十七歳で車両検査部の臨時工として採用され、レース部門のメカニックから叩き上げている。トヨタでは「車の味付け」と呼んでいるのだが、試作車や市販寸前の車に乗り、独特の言葉で役員や開発者たちに助言し続けてきた。

 やがて彼は伝説の人になる。社員たちはそのとき、彼が口癖にした「俺たちは命をかけて車を走らせているんだ」という言葉が本当であったことを思い知った。



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