[日本人の心を摑んだ人たちⅢ]吉田拓郎最高の名盤『元気です。』を取り憑かれたように聞いた夏
芸能 | 2020.08.12 |
夏休みスペシャル
1972年、若者の青春が変わった。
『春だったね』から『夏休み』『旅の宿』まで
レコードを聞くすべての人が熱量に圧倒された。全15曲が絶妙のバランスで並び、深く結びついている。そのアルバムには信念を貫くひとりの若者の生き様と青春の叫びが、奇跡のように凝縮されていた。
1972年、若者の青春が変わった。
『春だったね』から『夏休み』『旅の宿』まで
レコードを聞くすべての人が熱量に圧倒された。全15曲が絶妙のバランスで並び、深く結びついている。そのアルバムには信念を貫くひとりの若者の生き様と青春の叫びが、奇跡のように凝縮されていた。
僕の時計はあの時のまま
1枚のレコードがある。モノクロのジャケット写真に映し出されるのは、ひとりの若い男の横顔。その鋭い眼光は、見る者をドキリとさせる。
あさま山荘事件が起き、沖縄が日本に返還された'72年。学生運動が退潮し、次の時代への期待と不安が入り混じっていたこの年、吉田拓郎の最高傑作『元気です。』が生み出された。
あさま山荘事件が起き、沖縄が日本に返還された'72年。学生運動が退潮し、次の時代への期待と不安が入り混じっていたこの年、吉田拓郎の最高傑作『元気です。』が生み出された。
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