[日本人の心を摑んだ人たちⅡ]テレサ・テンの『空港』と八代亜紀の『なみだ恋』で見た夢

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夏休みスペシャル

ふたりの曲の哀感が、
なぜそこまで胸に刺さったのだろう

昭和40年代が終わりを迎える頃、ふたつの名曲が誕生した。そこでは誰もが経験する、愛する人との切ない別れが歌われていた。彼女たちはどこまでも優しい歌声で、傷ついた僕たちの心を救ってくれた。

私はひとり去ってゆく

 '74年12月31日。「第16回日本レコード大賞」が行われた帝国劇場のステージに、ひとりの歌姫が立っていた。

 テレサ・テン(当時21歳)。彼女は、歌手人生の登り坂を駆け上がろうとしていた。

 この年の「レコ大」の平均視聴率は、45.7%。およそ5000万人の日本人が観ていた計算だ。そんな檜舞台で、純白のドレスに身を包んだテレサは代表曲『空港』を歌った。イントロが鳴った瞬間から、彼女は感極まった表情を浮かべる。



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