[日本人の心を摑んだ人たちⅡ]テレサ・テンの『空港』と八代亜紀の『なみだ恋』で見た夢
芸能 | 2020.08.12 |
夏休みスペシャル
ふたりの曲の哀感が、
なぜそこまで胸に刺さったのだろう
昭和40年代が終わりを迎える頃、ふたつの名曲が誕生した。そこでは誰もが経験する、愛する人との切ない別れが歌われていた。彼女たちはどこまでも優しい歌声で、傷ついた僕たちの心を救ってくれた。
ふたりの曲の哀感が、
なぜそこまで胸に刺さったのだろう
昭和40年代が終わりを迎える頃、ふたつの名曲が誕生した。そこでは誰もが経験する、愛する人との切ない別れが歌われていた。彼女たちはどこまでも優しい歌声で、傷ついた僕たちの心を救ってくれた。
私はひとり去ってゆく
'74年12月31日。「第16回日本レコード大賞」が行われた帝国劇場のステージに、ひとりの歌姫が立っていた。
テレサ・テン(当時21歳)。彼女は、歌手人生の登り坂を駆け上がろうとしていた。
この年の「レコ大」の平均視聴率は、45.7%。およそ5000万人の日本人が観ていた計算だ。そんな檜舞台で、純白のドレスに身を包んだテレサは代表曲『空港』を歌った。イントロが鳴った瞬間から、彼女は感極まった表情を浮かべる。
テレサ・テン(当時21歳)。彼女は、歌手人生の登り坂を駆け上がろうとしていた。
この年の「レコ大」の平均視聴率は、45.7%。およそ5000万人の日本人が観ていた計算だ。そんな檜舞台で、純白のドレスに身を包んだテレサは代表曲『空港』を歌った。イントロが鳴った瞬間から、彼女は感極まった表情を浮かべる。
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