成東高校・鈴木孝政は怪物・江川卓をどう見ていたのか

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シリーズ
あの日、あの時

同時代に生まれた天才の不運と幸運

悲運のエースと呼ばれ、甲子園出場ゼロ。
直球は150㎞を超えていた。
快速球の鈴木と剛速球の江川、
ふたりの高校時代とそれから

どの世界にも、才能と時代に選ばれる強運をあわせ持った「主人公」がいる。そして、光るものはありながらも、彼らの陰に隠れてしまう人がいる。関東屈指の速球派と言われたこの男も、後者だった。

もうひとりの天才肌

 いつの時代にも、「運に恵まれた人」というのは存在する。生まれつきの才能を持ち、その場にいる他の誰よりも目立ったオーラを放つ。

 '70年代の高校球界にとって、それは間違いなく作新学院(栃木)のエース・江川卓(64歳)だった。150㎞超と言われた剛球を武器に、春のセンバツの大会最多奪三振記録(60個)を始め数々の記録を打ち立て、「怪物フィーバー」を巻き起こした。



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