成東高校・鈴木孝政は怪物・江川卓をどう見ていたのか
スポーツ | 2020.03.03 |
シリーズ
あの日、あの時
同時代に生まれた天才の不運と幸運
悲運のエースと呼ばれ、甲子園出場ゼロ。
直球は150㎞を超えていた。
快速球の鈴木と剛速球の江川、
ふたりの高校時代とそれから
どの世界にも、才能と時代に選ばれる強運をあわせ持った「主人公」がいる。そして、光るものはありながらも、彼らの陰に隠れてしまう人がいる。関東屈指の速球派と言われたこの男も、後者だった。
あの日、あの時
同時代に生まれた天才の不運と幸運
悲運のエースと呼ばれ、甲子園出場ゼロ。
直球は150㎞を超えていた。
快速球の鈴木と剛速球の江川、
ふたりの高校時代とそれから
どの世界にも、才能と時代に選ばれる強運をあわせ持った「主人公」がいる。そして、光るものはありながらも、彼らの陰に隠れてしまう人がいる。関東屈指の速球派と言われたこの男も、後者だった。
もうひとりの天才肌
いつの時代にも、「運に恵まれた人」というのは存在する。生まれつきの才能を持ち、その場にいる他の誰よりも目立ったオーラを放つ。
'70年代の高校球界にとって、それは間違いなく作新学院(栃木)のエース・江川卓(64歳)だった。150㎞超と言われた剛球を武器に、春のセンバツの大会最多奪三振記録(60個)を始め数々の記録を打ち立て、「怪物フィーバー」を巻き起こした。
'70年代の高校球界にとって、それは間違いなく作新学院(栃木)のエース・江川卓(64歳)だった。150㎞超と言われた剛球を武器に、春のセンバツの大会最多奪三振記録(60個)を始め数々の記録を打ち立て、「怪物フィーバー」を巻き起こした。
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