あぁ、1972年の阪急ブレーブスこそ史上最強のチームだった
スポーツ | 2020.02.21 |
シリーズ
あの日、あの時
それでも巨人に勝てなかった
名将・西本のもと、福本がいて
長池、加藤がいて、山田がいて、
足立に米田もいたのに
世界一のリードオフマンに2人のサブマリン、そして強力なクリーンナップ。「人気のセ、実力のパ」と言われた時代、閑古鳥の鳴く球場で投打の役者を揃えたチームが、満を持して球界の盟主に挑んだ。
あの日、あの時
それでも巨人に勝てなかった
名将・西本のもと、福本がいて
長池、加藤がいて、山田がいて、
足立に米田もいたのに
世界一のリードオフマンに2人のサブマリン、そして強力なクリーンナップ。「人気のセ、実力のパ」と言われた時代、閑古鳥の鳴く球場で投打の役者を揃えたチームが、満を持して球界の盟主に挑んだ。
客席はガラガラだったけど
「1972年、僕は高校1年生でした。背丈が低かったから同じように小柄な福本豊さんに憧れた。ただ足が速いだけじゃなくて、ガーンと引っ張る打撃も格好良くて、阪急の大ファンになっていました。本拠地の西宮球場に行くと、客席はガラガラ。でも、寡黙で穏やかな雰囲気の西本幸雄監督をはじめ、みんなに個性があって、何とも言えない魅力が漂っていた。いま思い出しても、あの頃の阪急こそ最強のチームだったと思います」
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