『野村證券 第2事業法人部』「カネの魔力」に取り憑かれた者たちの戦場

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バブル黄金時代
あの野村(ヘトヘト証券)でいちばん稼いだ男たち

苛烈なノルマと厳しい上下関係で、「ヘトヘト証券」とまで言われた野村證券。その黄金時代に最もコミッションを稼いだトップセールスマン横尾宣政氏は、バブルの狂騒をどう生きぬいて来たのか?

稼げなければ人にあらず

 私が野村證券に入社したのは'78年のことです。最初に配属されたのは金沢支店。それから20年後、'98年に新宿野村ビル支店長を最後に退職するまで、野村證券が最も活気に溢れていたバブル期を含む時代をモーレツ証券マンとして生きてきました。

 野村は「ノルマ証券」の異名を取り、コミッション(手数料)のノルマが業界一厳しい社風で有名でした。社章がそう読めることから「ヘトヘト証券」とも呼ばれた。達成できない社員は怒鳴られ、締め上げられた挙げ句、耐え切れずに辞めていく。167人いた私の同期のうち、69人が1年以内に辞めていきました。


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