仲直りは不可能? 巨人の職員名簿から長嶋一茂が消えていた
スポーツ | 2016.01.25 |
「ひとつ屋根の下」にいた親子が、ひそかに別れのときを迎えていた。巨人軍の長嶋茂雄・終身名誉監督のもとで球団の「野球振興アドバイザー」だった長男・一茂氏が球団から去っていたのだ。巨人軍関係者が明かす。
「一茂はもう、巨人の職員ではありません。実は去年から『長嶋一茂』の名前は、名簿には載っていないんです。
2004年3月にミスターが脳梗塞で倒れたことで、ミスターの状況把握や情報交換がスムーズにいくよう、後に球団代表となる清武(英利)さんが一茂を『球団代表特別補佐』として招き、'11年から野球振興アドバイザーになりました。
一茂はミスターの容体が安定するまでは長嶋邸に押し掛けるマスコミ対応を受け持つ、スポークスマンでした。ミスターが復調して東京ドームで観戦するときは、一茂が腕を引いて寄り添う姿が印象的でしたが……」
父・茂雄氏が名球会のイベントで始球式の打者をつとめるまで回復し、一茂氏の「広報的役割」が終わったとしても、球団職員としては残れたはず。ベテラン野球担当記者が明かす。
「ミスターと一茂の確執が続いているんです。もともと『オフィスエヌ』がミスターの権利関係やマネジメントを管理していますが、一茂の個人事務所『ナガシマ企画』が介入し、関係各所と軋轢が生まれて、溝が発生しました。さらに、一茂がテレビの情報番組でコメントしたり、幅広くタレント活動ができるのも、結局、読売巨人軍の肩書、その背後にいる父の存在が大きい。それなのに一茂は、球団の仕事より、タレント活動のほうが目立ち、『あいつは巨人より、テレビのほうが大事なのか?』と批判的に見る人が球団内部に増えていた。結局、球団主導で一茂外しが断行されました」
一茂が巨人軍という「家」から離れたことで、仲直りの手打ちをするチャンスは、さらに遠ざかってしまったようだ。
2016/02/06号
「一茂はもう、巨人の職員ではありません。実は去年から『長嶋一茂』の名前は、名簿には載っていないんです。
2004年3月にミスターが脳梗塞で倒れたことで、ミスターの状況把握や情報交換がスムーズにいくよう、後に球団代表となる清武(英利)さんが一茂を『球団代表特別補佐』として招き、'11年から野球振興アドバイザーになりました。
一茂はミスターの容体が安定するまでは長嶋邸に押し掛けるマスコミ対応を受け持つ、スポークスマンでした。ミスターが復調して東京ドームで観戦するときは、一茂が腕を引いて寄り添う姿が印象的でしたが……」
父・茂雄氏が名球会のイベントで始球式の打者をつとめるまで回復し、一茂氏の「広報的役割」が終わったとしても、球団職員としては残れたはず。ベテラン野球担当記者が明かす。
「ミスターと一茂の確執が続いているんです。もともと『オフィスエヌ』がミスターの権利関係やマネジメントを管理していますが、一茂の個人事務所『ナガシマ企画』が介入し、関係各所と軋轢が生まれて、溝が発生しました。さらに、一茂がテレビの情報番組でコメントしたり、幅広くタレント活動ができるのも、結局、読売巨人軍の肩書、その背後にいる父の存在が大きい。それなのに一茂は、球団の仕事より、タレント活動のほうが目立ち、『あいつは巨人より、テレビのほうが大事なのか?』と批判的に見る人が球団内部に増えていた。結局、球団主導で一茂外しが断行されました」
一茂が巨人軍という「家」から離れたことで、仲直りの手打ちをするチャンスは、さらに遠ざかってしまったようだ。
2016/02/06号
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