名門・ユニチカ「経営の失敗」 なぜ東レになれなかったか
経済 | 2014.06.24 |
内幕レポート 倒産寸前に追い込まれて
誰もが知る名門企業もいつからか株価は「100円以下」が常態化。耐えきれなくなって、ついに金融機関に助けを求めた。輝かしいイメージを剥がすと、生々しい会社の内情が浮かび上がってきた。
誰もが知る名門企業もいつからか株価は「100円以下」が常態化。耐えきれなくなって、ついに金融機関に助けを求めた。輝かしいイメージを剥がすと、生々しい会社の内情が浮かび上がってきた。
「5年前と同じ風景」
地下3階、地上32階、高さ125m―。当時、関西で最も高いビルとして「大阪国際ビル」がオープンしたのは1973年2月のこと。約6000㎡の広大な土地を利用してこの超高層ビルの建設を計画したのはユニチカである。
この年から、ユニチカは「ユニチカマスコットガール」を発表。初代には風吹ジュンが選ばれた。同じく同社が主催していた「スイムウェアキャンペーンモデル」は、後に内田有紀、本上まなみ、米倉涼子らを輩出。その眩しい肢体は世の男性を虜にした。
この年から、ユニチカは「ユニチカマスコットガール」を発表。初代には風吹ジュンが選ばれた。同じく同社が主催していた「スイムウェアキャンペーンモデル」は、後に内田有紀、本上まなみ、米倉涼子らを輩出。その眩しい肢体は世の男性を虜にした。
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